In the front of the gate of Bilskirnir


「くっちゃべるのは終了! そろそろ死ねよ」

シャールヴィが短槍を構え、フェンリルに狙いを定めた。

体勢を立て直し、フェンリルはシャールヴィとの間合いを詰めるべく足に力を入れるが。

少年が振り上げ、投げつけた短槍は瞬時に複数に分裂し、フェンリルの周囲に次々と突き刺さる。

まるで槍の格子に閉じ込められたようになり、フェンリルの動きは完全に封じられた。

「……!」

フェンリルは歯を食いしばり、目の前の敵を睨みつける。しかしもう打つ手はなかった。

「あばよウルヴヘジン」

シャールヴィが手に残った短槍を、止めを刺すべく振りかざす。

「ッ!」

少年の手の槍が、光線のような何かに弾き飛ばされる。
 
「なに?」

手を押さえてシャールヴィは振り向き、

「……ハ! 神闘士がもう一匹増えたのかよ」

ニヤリと笑った。

コツ、コツと靴音を響かせ、鎧をまとった長身の男が二人の方角へ歩いてくる。

立ち止まった男は、

「アルファ星、ドゥベのジークフリート」

少年に向けて名乗りを上げる。

「フロルリジの配下の皇闘士ラグーナだな」

「あぁ!?」

シャールヴィの、本来かわいらしい表情が醜くゆがむ。

「さ・ま・を・つ・け・ろッて言ってんだよォ! このゴミカス野郎!!」

吐き捨てると同時に、手の中に現れた短槍がジークフリートめがけて飛ぶ。

身体自体を全く動かすことなく、腕の一振りでジークフリートは槍を弾き飛ばした。

「へえ?」

少年の目が輝く。

「そこの犬ッコロよりか遊べそうだよな? お前。確かジーフリート? ジークフリートだっけ? ってのは、色々盛りすぎの……

え~っと、ヘイムダル様なんて言ってたっけ……あ、そうだ」

シャールヴィは手にした新たな短槍の穂先を、ジークフリートへ向けて突き出す。

「ク・ソ・チー・ト・ヤ・ロ・ウ。オーディーンのジジイの実験台の」

嘲りを前面に押し出した表情で、少年は言い放った。

「竜殺しのヴェルスング、ってやつ?」

ジークフリートは全く表情を変えることなく、少年を見据えている。

「ちょうどいいや。もういっぺんくたばって二度と迷い出てくんなよ、エセ不死身野郎!」

手にした短槍を軽く放り投げ、受け止めたシャールヴィは続ける。

「……って言いたいとこだけどさ。お前はフロルリジ様の獲物だし、僕が手をつけるわけにいかないもんな」

彼の手から、短槍デュランダルが再び高く投げ上げられた。

「手足へし折って、フロルリジ様の御前に突き出すだけで勘弁しといてやるよ!」

上空で停止した槍が、ジークフリートに狙いを定める。

「ゲイルロズ・ウィールウィンド!」

シャールヴィが手を前方に振り下ろし、炎をまとった短槍が急降下した。




槍が到達するときには、ジークフリートの姿はそこにはなかった。

「!?」

槍の包囲から抜け出そうとしていたフェンリル―――駆け寄ってきたギングも、槍を口に咥え抜き出して手伝っている―――は訝る。

それは攻撃したシャールヴィも同様だった。

舌打ちして、横に移動していたジークフリート目掛け次なる槍を放つ。

だが何度槍を飛ばしても、ジークフリートを捉えることはできなかった。

「ヒルダ様とトールがビルスキールニルの何処にいるか」

息切れし出したシャールヴィの背後から、平然とジークフリートの声が響いた。

「案内してもらおうか」

振り向いたシャールヴィの眼に映る、息を乱しもせず立つジークフリート。

明らかな狼狽を顔に浮かべつつも、振り払うように悪鬼のごとき形相でジークフリートを睨み、シャールヴィは叫んだ。

「……ざっけんな!!」

膝を曲げ、後方に大きく飛び退く。

「フロルリジ様、申し訳ありません!」

そう叫ぶと、腕を天へ振り上げた。

彼の身体から発生する小宇宙が強まる。

「ゲイボルグ・ボーライド!!」

雄叫びと同時に上空に投げられた短槍は、刹那の間に無数に分裂した。

数多の短槍が、ジークフリート目掛けて降り注ぐ。



ジークフリートは拳を握り、腕を引いて構えを取った。

次の瞬間、短槍は全て弾き返される。

「ドラゴン・ブレーヴェスト・ブリザード!」

ジークフリートが合わせた両拳から放たれた稲妻のような拳が、そのままシャールヴィへと襲い掛かった。


驚愕の表情。声を上げる暇すらなく、

少年の身体は天高く吹き飛ばされていた。



木の葉のように舞い上がった少年の身体が、そのまま落下し地面に激突する。

転がった体にもはや精気はなく、見開かれたままの眼に光は無かった。

シャールヴィがあっけなく絶命した事実を目の前に、

槍の包囲から抜け出し、ただ茫然と、地に転がる骸と化したその姿を見ていたフェンリルは、

構えを解き直立の姿勢に戻った、ジークフリートに視線を移す。

そして思った。

否、彼の肉体と本能とが、思い知っていた。



この男は、強い。

いや強すぎる。

あまりにも、格が違いすぎる。

もしこいつと敵として相対することになったとしたら……

下手をすれば、数秒と持ちこたえられはしないだろう。





神闘士として、ワルハラ宮に召集された"指輪の変"の折。

フェンリルは"仲間"であるはずの6人の神闘士たちのことを、意識に登らせた事さえなかった。

従うのはヒルダのみ、仲間と思うは狼たちのみ。

だから他の神闘士たちからは、常に目を背けていた。

しかし今フェンリルは、神闘士の束ねと定められた男の真実を、肌身に思い知らされていた。

これが"前"地上代行者のヒルダを、常に守っていた男の実力なのだ。



我知らず、体が震えていた。



ジークフリートが、立ち尽くすフェンリルの方へ目を向ける。

その鋭い視線に、フェンリルの身がすくむ。

しかしジークフリートは視線を前方へ向けると、そのまま歩き出した。

フェンリルはただ、その姿を目で追っている。

ジークフリートがフェンリルの真横で立ち止まる。

「お前は神闘士。緊急の時に身勝手なふるまいは許されん」

低い声で彼は言った。

こちらを向いた彼の、青い目がフェンリルを捉える。

「単身敵地に乗り込もうとしたのは規律違反。帰城の際、相応の処罰があることは覚悟しておけ」

フェンリルから目の前の拱門……雷霆神の館ビルスキールニルの方へと、ジークフリートは目を移す。

「――だが」

ジークフリートは目を上げ、再び歩き出す。拱門へ向かって。

その後姿を見ていたフェンリルは、彼の意図を悟った。

――俺も……俺も行かなければ。

フェンリルは傍らのギングに声をかけようとしたが。



ブゥンと、空気の裂かれる音。

神闘士二人は同時に振り向く。

次の刹那。

主を失った短槍デュランダルが、フェンリルの前に飛び出した狼ギングの身体に突き立っていた。


フェンリルの眼が、いっぱいに見開かれる。

叫びが周囲に轟いた。

「ギング――――!!」

狼の大きな身体が、地にどうと横たわった。

狼狽したフェンリルが、ギングの身体に縋りつく。

一方ジークフリートは、瞬時に構えを取る。

その眼と拳は周囲を、そして彼が倒して間もない皇闘士ラグーナの少年の躯を捉える。

小宇宙はもう感じられない。周囲には何の気配もない。

皇闘士シャールヴィが、もう二度と動かない物体であることは間違いない。

ではなぜ、その武器だけが動いたのか。

「ギング……ギング……!」

動かない狼の身体に縋りついたままのフェンリルが泣きじゃくっている中、

ジークフリートは気配を感じ、ビルスキールニル拱門へ目を向ける。




拱門から外へと出てきた、大きな影とほっそりとした影。

どちらも彼の知る者の姿だった。

「ヒルダ様……」

ジークフリートの視線の先に、彼の先の主君であるポラリスのヒルダがいた。

彼女はその手を、隣の大男――ジークフリートが目にしたことのない衣装を身にまとったフェクダのトールの、手甲をまとった手のひらの上に乗せている。

ヒルダは愕然とした表情を浮かべ、

小走りに駆け出した。

彼女が目指した先に、槍が突き刺さり横たわる狼のギングと、縋りついているアリオトのフェンリルがいた。



ヒルダが狼の前に膝をつき、その手を槍の上にかざす。

槍が独りでに傷口から抜け出し地に落ち、赤い傷口をヒルダの小宇宙が包み込む。



涙に濡れた目で、その様子を凝視しているフェンリル。

ヒルダは念じ続ける。

赤い傷口は、徐々に塞がっていく。



主君の力と小宇宙を感じつつジークフリートは、同じくその様子を見ているフェクダのトールに目を移す。

(ヒルダ様を連れ出してきたということは、今のトールは"フロルリジではない"のか?)

一言も発さないトールは、幾分苦しげに見える。

ジークフリートは拳を握り、拱門の向こう――雷霆神の館、ビルスキールニルを伺う。

何者かが潜んでいる気配も、出てくる様子も感じられない。

ヒルダの治癒は続き、狼が少し身動きする。

「ギング!」

フェンリルが呼びかける。

狼は僅かに頭を上げ、応えようとした。

(なんとかヒルダ様を無事にお連れしなくてはならん。だが最古の二神や残る皇闘士ラグーナが、黙って見逃すはずもないな)

ならばこの場に自分がとどまり、奴らを食い止める隙にフェンリルにヒルダを連れ逃げるよう指示するのが最適か。

問題は、トールがついていける状態なのかどうかということ。

奴がまだフロルリジを宿したままだとすれば―――。




「フェンリル」

ギングの首を抱えていたフェンリルは、はっと目を上げる。

苦し気な、しかし力を込めた声。

「神闘士として、ヒルダ様を、守れ」

トールは一句一句、絞り出すように告げた。

「頼んだぞ」

フェンリルは、大きく目を見開く。



唇が動き、

神闘衣の手甲部分に付属する牙型の突起の下の手が、前方へ伸ばされる。

トール、と呼びかけようとしたのだろう。

だが言葉を発することはできなかった。


苦悶の声が、突如目の前の大男から洩れる。

それが徐々に大きくなり、大男の喉から雄叫びが轟いた。



「ジークフリート!」

ヒルダが叫んだ。



フェンリルは茫然とトールを見ていた。

そのさらりと流れる銀灰色の髪に、異変が起こる。

トールの髪の色が徐々に変化し、最後にはすべて真っ赤な色に変じていった。



北欧神話最強の神・雷霆神フロルリジには、知られた通称がある。

赤髭。

つまりは、その髪も髭も赤であることで、雷霆神は遠目にも一目で見分けられる存在なのだ。



トールが、いやトールであった"赤髪と赤髭の"男が顔を上げる。

その眼の中には稲妻が閃いていた。

「ジークフリート! お逃げなさい! フェンリルを連れて、早く!」

ジークフリートの眼に、初めて戸惑いが浮かんだ。

「私を構ってはなりません! すぐにこの場を離れるのです!」

巻き起こる強風に長い髪が乱れながらも、ヒルダの声が凛と響く。

彼女の手を取り、無理にでもこの場から連れ去りたい。

ジークフリートは内心、そう強く思っていた。だがその思いは、心の奥深くに押し込められる。

「……はっ!」

"かつての"主君の命に、ジークフリートは従った。

「フェンリル! 退け!!」

そう怒鳴った瞬間咆哮が轟き、巨大なビルスキールニルの門と周囲の岩山はビリビリと震え、稲光が走る。

岩がひび割れ片端から砕け散り、轟音が響き渡った。

「シャドウ・バイキング・タイガークロウ!」

フェンリルめがけて飛んできた岩が、跡形なく砕け散る。

「立て! ひとまず退却しろ!」

長い爪をふるってからフェンリルを振り向いて怒鳴った男は、ミザールのシドと同じ顔をしていたが、シドとは違う白銀の神闘衣をまとっていた。




ジークフリートと、狼ギングを抱え上げたフェンリル、駆け付けたアルコルのバドの3人の神闘士はその場から退却し、ヒミンビョルグ山を後にした。





雷霆神の咆哮が収まったビルスキールニル拱門前。

以前とは完全に地形が変わっていた。

木々はなぎ倒され岩々は砕け散り吹き飛ばされ、地面に石畳は跡形もなく大きく抉れ、無残な光景が広がっている。

そこに立つ大男と、背後に座り込む女性。

ポラリスのヒルダは立ち上がることができないまま、小刻みに震えて大男を見る。

「雷霆神フロルリジよ……あなたがラグナロクを起こすなど、あってはなりません……! どうか思い止まってください」

ヒルダは必死に訴えかける。

「かつて人間の友ヴェルリザ・ヴィンと呼ばれたあなたがそのようなことを……父であるオーディーンも悲しまれます……!」

赤い髪と赤い髭の、大男が振り向く。

その眼がぐわりと見開かれ、稲光が閃いた。

並の人間ならばその場で卒倒しただろう。

だがオーディーンの地上代行者として、祈りを捧げ続けてきたヒルダはその眼光にかろうじて耐えた。

しかし、彼女は打ちのめされていた。

「人間も地上も護るになど値せん」

冷たく重々しく、声が発せられた。

雷霆神はヒルダを見下ろす。冷たい突き放した目で。

「俺にそう教えたのは貴様であろうが」

ヒルダは茫然と、フェクダのトールの姿をした"神"を見上げる。

その姿は最早、かつて"神と人の尊き守護者"と称されたアース神のものではなかった。

巌のごとく巨大なその姿は、無慈悲な殺戮に身を投じ心を捨て去った、まさに氷の巨人(アイス・リーゼ)そのものであった。

「フロルリジ様」

声がした。

後方に最古の二神―――戦神テュールと光神ヘイムダルが跪いている。

「そろそろ、シンプリ・スンブルをご用意される頃合いかと」

「スキーズブラズニル及び、スルトの支度を整えてございます」

「その女を船へ運べ」

短くフロルリジが命じた。

「はっ」

二神が畏まり、首を垂れる。

神々から続けて発された言葉。それはラグナロクの準備のためのものであることを、ヒルダは理解する。

重い足音を立てながら最古の二神の脇を通り過ぎ、そのままビルスキールニル邸へ向かうと思われたフロルリジはある地点で立ち止まり、

ヒルダが思いもよらぬ行動をとった。

彼女は目を見張る。

そして雷霆神の姿が見えなくなるまで、目で追い続けていた。

フロルリジの後に最古の二神が続き、神々の姿は拱門の向こうへと消える。

突如ヒルダを、独りでに動く"紐"が襲う。

「!」

ヒルダの全身は紐にぎりぎりと縛り上げられ、地に押し付けられた。

彼女が何とか目を上げると、皇闘士ラグーナの少女が立っていた。

その姿は、あの時牢獄から見たものとは少々変わっていた。

「どの道お前は助からないよ。これからフロルリジ様が、お前をナグルファルへの捧げものにされるんだから」

金髪の少女……"皇闘士スカディ"ことスルーズが、ヒルダを見下ろす。

「ざまあみろ。偽善者め。せいぜい苦しんで死んだらいい。あの時のトールの痛みと苦しみは、そんなもんじゃなかったんだから」

憎しみに満ち満ちた言葉が、ヒルダに向けて浴びせかけられた。

靴音が聞こえ、スルーズの隣に若者の皇闘士が立つ。

「――運ぶぞ」

ダーインのグンターは、ヒルダから目を背けつつ言った。 




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